ひとまずのお別れ。

2010年も最後の日となりました。本日をもちまして、一旦本ブログを終えようと思います。アメリカから日本に帰国したらスパッとまとめるつもりが、ダラダラと半年以上たってからの幕引きとなってしまいました。まだ書き足りない気もしますが、どうもきりがないので、この辺で一段落させようと思います。今まで目を留めてくださった皆様、どうもありがとうございました。


このブログは備忘録を兼ねて、アメリカでの生活を書き残しておこうと始めたのですが、コメントをいただいて勇気付けられたり、「書く」という行為そのものに救われることも多く、生活とは切っても切り離せないものとなりました。今の世にインターネットが存在していてくれて、本当に助かりました。日々感じたことをすべて書き起こせるほどまめな性格ではないので、少し時間が経つと忘れてしまい、思いがハラハラとこぼれてしまって、自分自身ふがいなかったりもしましたが、それでも思い出を読み返すことができる文章にすることができて、よかったです。


「たかが3年、されど3年」のアメリカ生活でしたが、今までに考えもしなかかった事態に数多く遭遇しました。渡米して最初の数ヶ月は、いつでもどこでも常に緊張感があり、なかなか心休まることがありませんでした。生活環境の違いであったり、英語の壁であったり、銃社会というものに過剰反応していたり、理由はいくつも挙げられると思います。が、だんだんと生活に慣れていく過程で、肩の力が抜け、周りを見る余裕が出てきました。一時帰国した日本からヒューストンの自宅に戻って、「おー我が家だ」とホッとした時は何となく嬉しく思ったものです。最後まで「異国で生活している」という緊張感は持続しましたが、息苦しさや不安感からは自由になり、ちょっと自分が成長したような気がしました。今、振り返ってみて、とても貴重な3年間だったと感じています。


このブログのタイトル「漕ぎゆくまにまに」についてですが、これは紀貫之の「土左日記」中から拝借しました。「土左日記」は、国司として土佐国に赴任した紀貫之が任地から京へ帰るまでの日々を書いた作品ですが、古今東西を問わず、見知らぬ土地へ赴くことは色々な思いが錯綜するのでしょう。「漕ぎゆくまにまに」という表現は、貫之の乗った船から土佐国や土佐の人々の姿がだんだん見えなくなる時に使われており、4・5年住んだ任地への思慕が伝わってきます。いよいよアメリカに向かう飛行機に乗った時、私はこの「漕ぎゆくまにまに」という言葉に、「どんどん日本が遠くなる」という心細さと新天地への期待を重ね合わせていました。そして、ブログタイトルとしたわけです。


最後に、改めて、ブログを通じて通じ合ってくださった皆様、どうもありがとうございました。また機会がありましたら、何処でお会いできればと思います。


来年が皆様にとって素晴らしい年になりますように。

アメリカ生活を振り返って(3)。

今年のお正月はアメリカで迎えたことなど、夢の彼方のできごとのようです。アメリカ生活を振り返っての第三弾は、「子育て」について書いてみます。たった10ヶ月のアメリカでの子育てでしたが、両手のひらで支えられるような新生児が、ハイハイして立ち上がって歩き出すまでの成長があったので、色々と変化も大きかったです。


出産後、母乳が奨励されるのは、日本もアメリカも同じです。残念ながら私は母乳が満足に出なかったので、わりとすぐにミルクに移行しました。このミルクが、日本と大違い。日本は粉ミルクがメイン、というかそれしかないと思いますが、アメリカでは粉のほかに、液体があるのです。それも、そのまま飲ませることができる乳首付きのミニプラスチック容器入りのミルクから、水で2倍に希釈する缶詰タイプ、72時間以内に飲みきるボトルタイプなど、種類は充実しています。


初めてミルクを作るときには、ばい菌が入らないように、キッチリ測って溶け残しができないようになど、気を使うもの。液体ミルクは粉ミルクより割高ですので、ずーっと使い続けるのは難しいかもしれませんが、余裕がない時期や出先でもすぐ飲ませられる液体ミルクは大変に助かりました。日本では、液体ミルクの認可が下りていないと聞きました。もちろん、母乳が一番ですが、それが叶わないママのために、封を切るまで常温で持ち運びができる液体ミルクがあると便利だなぁとは思います。


あと、ミルク自体の成分も、牛乳や大豆、あとそれらにアレルギーがおきてしまう赤ちゃんむけのタイプや、鉄分を足したものなど、かなりの種類があります。アメリカではベビーミルクの専門メーカーがあるので、それだけミルクに特化した開発販売ができるのかもしれません。ちなみに、我が家は「Similac」社のミルクを愛用していました。


ほか、アメリカと日本の子育てとして大きな違いがあるのは、Sleeping、つまり「寝るかたち」でしょうか。小児科病院からもらった「よい眠りへのアドバ イス」によれば、「できれば生後数週間以内に両親と別室で赤ちゃん1人で寝かしつける」ことが推奨されています。これって、日本人にはちょっと考えにくいのではないでしょうか。少なくとも数ヶ月以内なら、日本のママだったら目の届く範囲に赤ちゃんを置いて眠りたい(まあ実際は起こされて眠れないかもしれませんが)と思うのでは。夫婦と別室で赤ん坊を寝かすというのは、赤ん坊の泣き声がうるさいからという理由ではなく、両親の生活と赤ちゃんの生活環境を、お互いのためにしっかり分離するということなのだと思います。赤ん坊は親が近くにいないこともすぐに慣れるそうですし、親はモニターを設置して監視するのが普通になるようです。


赤ちゃんと親が別々の部屋で寝るという習慣は、アメリカの広い家なら赤ん坊のために一室用意できるという物理的な要因も大きいはずです。日本の狭い住宅状況だと、赤ん坊のために丸々一室使うという発想は出てこない気がします。私も妊娠中に友人から、「Babyの部屋作りは進んでいる?」と何度か聞かれました。ベッドからタンス、子供用ソファなどを用意して、壁は性別に合わせて赤ちゃん部屋をデコレーションするものだそうですね。赤ん坊専用の部屋を用意していなかった私は、答えに窮した覚えがあります。


あと、布団と違ってベッドだと、赤ん坊を真ん中に川の字で「一緒に寝る」という発想がわかないのかもしれません。下手したら、赤ちゃんやパパママがベッドから落ちちゃいますからね。その点、布団ははみ出しても問題ないですし、赤ちゃんには安心な寝床と言えますね。私も畳にふとんが恋しくなりました。


結局我が家では、生後1ヶ月くらいまでは「バシネット」と呼ばれる、キャスター付きのかご型ベビーベッドに娘を寝かして、夫婦の寝室の隅において置いていました。が、2ヶ月の前には、娘がそのバシネットに不満(?)の泣き声を上げ始めたので、夫婦のキングサイズベッドの真ん中に寝かすことになりました。娘が転げ落ちたこともあります。そして、現在日本に至っても、ベッドはシングル×2に変わりましたが、真ん中で堂々と娘は眠っております。


アメリカ時代の娘の主治医は、夫婦の寝室にクリブ(ベビーベッド)を持ってくるのはいいが、一緒にベッドで眠るのはどうか、9ヶ月くらいになったら蹴飛ばされちゃうわよと、笑ってアドバイスしてくれました。仰るとおり、日々蹴飛ばされ、パンチされております。主治医はアジア系の女性だったので、「アジアの人はそういう風(赤ん坊と並んで)に寝るのよね」と、一定の理解はありました。そっか、川の字はアジア文化だったのか、と思っていたのですが、帰国前に開いていただいた送別会で、「私はベッドで両親の間に寝ていた」というアメリカ女性がいらっしゃいました!お父様がスコットランド系の方で、アメリカにもそういう育児方法はあるし、私も娘とそうしたとのこと。一概に「アメリカ人は」とは言い切れないようです。


ところ変われば、育児も変わる。何がいい悪いでなく、子育てに王道なし、といったところでしょうか。いろいろと面白いものです。

肩甲骨エクササイズ。

あっという間に師走ですね。久々に日本のキーンとした寒さを味わっています。


思い返せば今年もいろいろなことがあって、とても一言では書きあらわせませんが、ここ数ヶ月「助かっている」と感じるのが、「肩甲骨エクササイズ」。聞いたことありますか?私は偶然つけていたNHKテレビの番組紹介で知ったのです。教育テレビで放送中の「きれいの魔法」という番組で放送されたそうで、その本編は視聴していないのですが、テキストを買ってさっそくペットボトル体操なるものを寝る前に試しております。


大変簡単なエクササイズで、「1.500mlペットボトルを持った右手を上から背中に回し、左手で下からキャッチする」「2.体の前でペットボトルを受け渡す。この動きを5〜8回繰り返す。逆回し(背中でペットボトルを下から上にキャッチ)も行う。左手も同様にペットボトルを回す。」(「NHKテレビテキスト きれいの魔法 2010年8月号 P56より)だけ。これが、なかなかの効果で、2週間程度で違いが出てきました。まず、姿勢がよくなりました(自分感覚)。また、「肩と背中すっきり!」と銘打ったエクササイズだけあって、肩甲骨まわりや背中の贅肉が減りました(自分比)。そして、相乗効果で、あきらかに肩こりの度合いが減ったのです。


いくつの頃からか肩こりが持病となって、マッサージ屋さんめぐりが趣味のひとつになっていますが、アメリカ時代は気軽に通える店もなく、まして妊婦中は湿布を貼ることもためらわれ、出産してからは自由になる時間がなく、人に頼ってもいられないなあと思っていました。帰国してから、何回かマッサージ屋さんに通いましたが、いきなり到来する肩こりは自分で対処するしかありません。そういった意味でも、この「肩甲骨エクササイズ」、なるべく長く続けていければいいなと思っています。


上記番組は、反響が大きかったのか、12月28日(火)にアンコール放送があるそうです。もしご興味がったらチャンネルを合わせてみてください!私、NHK関係者ではありませんので、あしからず。

近況報告。

またまたご無沙汰してしまいました。前の更新から1ヶ月半?実はこのブログ、まだ続いていたんです(苦笑)。年内には美しく(?)終われたらいいんですけど。


気が付くと、世の中は年賀状やらクリスマスやら、すっかり年末に向かって驀進中ですね。私といえば、この2ヶ月近く、特別なことは何もしていないのですが、目の前のことを細々とこなしているうちに一週間が過ぎ、1ヶ月が過ぎ、という感じです。最近は娘の体力がついてきたせいか、昼寝の時間が遅く短くなり、時には全く寝てくれなかったりするので、なかなか息つく暇がありません。まあ、子ども成長速度というのはスゴイもので、親の方がそのスピードに付いていけません〜。ひとつの生活パターンに慣れたと思うのもつかの間、娘は次のステージに進んでいて、日々追いかけっこしているようです。いやぁ、体力勝負ですね。ここ数日はめっきり寒くなり外出が億劫になってきていますが、娘は一日一回外に出ないとストレス溜まりそうなので、買物やら公園やらに出向いています。子どもは風の子ですからね、そう寒さは気にならないのでしょう。インフルエンザ注射は受けてきました。本人、注射はU.S.で打たれ慣れているせいか(あちらでは両太ももに5本同時とかありましたから)、泣きも騒ぎもせず、淡々と腕を見ていました。


10月には、初めて娘を美容院に連れて行き、私のカットをお願いしている美容師さんに切ってもらいました。それまで何とか家族で切っていたのですが、前髪が稲妻のようになってしまい、いつかは落ち着くだろうと思っていたのにどんどんと髪型の角度が鋭角になっていくので、一旦プロに揃えてもらう気になったのでした。散髪の間、娘は意外と静かに、鏡をにらみつけるように凝視しており、無事にカット終了してホッとしました。


10月31日には、住んでいる町のハロウィーン・パーティーがあって、昨年ヒューストンで購入していたかぼちゃコスチュームを娘に着せて外出してみました。ものすごく浮いてしまうのか、という心配が空のかなたへ吹っ飛んでしまうほど、駅周辺は扮装する子どもたちで一杯!ディズニーのお姫様系の女の子が多かったですね、。気合の入ったお母様方もいらっしゃいました。商店街が協賛してスタンプラリーを実施したり、店頭でお菓子を配ったり、イベント会場でフラの発表会があったり、最近の日本のハロウィーンって盛り上がっているんですね!?ちょっと驚き。それにしても、U.S.のハロウィーンパーティーには参加しなかったのに、日本で楽しんでしまう私たちって。。。


今日、U.S.の友人から「ジョークだけど」とクリスマスパーティーの招待状がメールで届きました。もうちょっと近かったら伺いたいところですけれど、残念ながらかなーり難しいですね。でも、その気持ちが嬉しく、心がつながっているということに友情を感じました。来春には、その友人夫妻が日本訪問を計画してくれているので、日本で再会して桜を案内できたら嬉しいなと思っています。その際は、是非、羽田空港へ降り立って欲しいなあ。

アメリカ生活を振り返って(2)。

暑すぎた2010年の日本の夏も徐々に終息に向かい、何事にも終わりがあるんだなぁと実感していたら、今度は急に肌寒さが身に沁みてきて、洗濯物が数時間で乾くあの強烈な日差しが恋しくなってくるなど、相変わらず自分勝手な思いを馳せている今日この頃です。


アメリカから帰国して6ヶ月。すでにヒューストンでの生活は忘却の彼方になりつつあります。ただ、あちらで通っていたレストランやお店のメーリ ングサービスだけが、確かにアメリカで生活していたことを呼び起こさせます。毎日のように届くこのメールの山、必要ないと思いつつも、何となく停止依頼をせずにそのままになっています。物理的住所は変わっても、メールアドレスが変わらないと、「つながっている」安心感がありますね。


今日は、アメリカのエンターテイメントについて感じたことを書いてみたいと思います。
あちらで何度か舞台を観に行きましたが、特にミュージカル は、「やはり」なのか、レベルが高いなと思いました。ブロードウェイ・ミュージカルとうたってはいても、ヒューストンにやって来るメンバーは巡業メンバー主体で(時折オリジナルメンバーもいましたが)、本場を目指す二番手さん中心だと思うのですが、それでも主役以外のアンサンブルまで含めた出演者全体のハーモニーは素晴らしいと感じました。日本だと、主役以外をドキドキ・ハラハラして見なくてはいけない時もありましたが、そういったことはなかったですね。


また別の話で、こんなことがありました。ある日、夫が会社からDVDを持って帰宅し、「映画に出演したんだ。監督から借りてきたんだけど、見る?」とちょっと得意げに言いました。聞いてみると、最近夫の会社に入社した新人さんたちが研修の一環で映画を撮ることになり、既存社員が出演者となったので夫もチョイ役で出たんだそうな。ちなみに、アメリカの会社における「新人」は、学校を卒業したばかりのいわゆる新卒ばかりではないので、年齢も経歴も まちまちです。


見てビックリ!まったく普通の映画ではありませんか!!!研修課題と聞いたので、若者にありがちな前衛的な映像や、見ている方が気恥ずかしくなるような楽屋落ち話や、素人っぽい画像構成を想像していた私の予感を、軽〜く裏切ってくれたのでした。筋は会社の風紀を直すために若い社員(新人)が奮闘するという、別段面白い内容ではありません。が、主役を演じる嫌味のないごくごく普通の好青年のキャスティングといい、私も面識のある社員さんたちの自然な演技といい、わかりやすい展開とオチといい、安心して見ていられる娯楽映画といった25分ほどの作品でした。会社という狭い屋内を舞台とするところは、シットコムと呼ばれる「シチュエーション・コメディ」(「奥様は魔 女」や「フルハウス」などが代表作でしょうか)の伝統を見事に踏襲していました。音楽の選曲もバラエティに富んでいて、効果音のかぶせ方もバッチリ、妄想部分はお約束の白黒のモヤモヤにして前後のストーリーと はっきり区別させたり、最後は上司二人が全身ブルースブラザースのスタイルで決めて、肩を組みつつステップ踏みながら去っていくところにエンドロールが来たりして、いやもう脱帽。


ちなみに、夫の会社はエインターテイメントとは全く遠く離れた業界です。なのに、なんでこんなに皆、演技がうまいの?このはじけっぷりは何?どうやってこの撮影技術を身につけたの?学生時代に皆がドラマ作りを学ぶわけ?さまざまな疑問がフツフツとわいて来ました。素人さんがこれだけのレベルの作品を作れるのなら、そりゃあアメリカにおけるショウビズは栄えるわなぁと、妙に感心してしまいました。昨年の大統領選真っ只中に、宿敵同士のオバマ候補とマッケイン候補が笑いと毒舌たっぷりのスピーチをしたことをブログにもUPしましたが(参照:2008/10/16 アメリカの底力?)、見せる=魅せることに長けているアメリカ人気質は、日本のそれとは違って大変に興味深かったです。そういえば、先日NHKで見た「爆笑学問」で、野田秀樹氏を前に太田光氏が、オーバーリアクションで普段から演技しているようなアメリカ人に対して、日本人は演じることに向かないんじゃないか(うろおぼえでゴメンナサイ)みたいなことを話していましたが、それ、ちょっと納得です。


なんだか、あっちこっちに話が飛んでしまいました(苦笑)。あ、夫の役は、主人公の青年が「いろんな国の言葉がしゃべれたらいいなあ〜」という妄想場面で、青年がペラペラ日本語を話すのを両手挙げてビックリしている日本人、というものでした。彼の話す日本語指導もしてあげたそうです(笑)。

アメリカ生活を振り返って(1)。

案の定、ブログ更新が大変滞ってしまいました。1ヶ月半、もはやマンスリーともいえなくなりそうなブログです。こんな怠慢ブログに目を留めてくださった皆さま、どうもありがとうございます。


久しぶりの日本の夏の暑さはこたえます。単に暑さだけを言うなら、40度を越えるヒューストンの方が厳しいのですが、やっぱり日本特有の湿気の高さは、ボディブローのように体にダメージを与えます。2週間ほど前には熱中症もどき?になってしまいまして、半日ほど体調不良でした。


もともと水分はよく摂る方で、暑さには強いと自負していたのですが、ある日の午後、珍しく頭痛が襲ってきまして、次には体の関節がだるくなり、全身火照ってきて、熱を計ってみると37.4度。35度台が平熱の私にはなかなかの体温でした。おでこと首後ろにアイスノンを貼り、それを娘が面白がって剥がそうとかぶさってくるのと格闘しつつ、食欲もなくなったので風邪薬を飲んで寝たところ、翌朝には通常体に戻っていました。喉も鼻も異常がなかったし、あれはやっぱり熱中症だったのだと、思います。原因としては、うーーーん、そこそこ飲んで、買物に出かけて汗をかいて、その後は冷房の部屋にいたし、正直、前日少し寝不足だったことくらいしか思い浮かびません。知らず知らずのうちに溜まっている疲労が原因?歳だから??意外と簡単に熱中症にはかかってしまうんだなぁと、恐ろしくもある体験でした。


さてさて、このブログのクロージングに向けて、アメリカ生活で感じたことなど、アットランダムに綴ってみたいと思います。第一回の今回は、「妊婦生活」をピックアップしました。日本で妊娠出産経験のない私は、日本のそれと比べることはできないのですが、「どうも違うらしい」ということなど、挙げてみたいと思います。


あちらで見かける妊婦さん、皆さん非常に堂々としていらっしゃるというか、お腹をかばって行動しているという風情の方が少なかったです。バリバリ働いている方を多く目にしたせいでしょうか。高いヒールで闊歩している方を見たせいでしょうか。また、ピチピチのTシャツの下から、ポコンと飛び出たお腹を見せている方も多かったですねぇ。あれは目のやり場に困ります。マタニティードレスでなく、今まで着ていた洋服を妊娠しても普通に着ているのかな?日本の腹帯とは正反対ですね。もちろんマタニティー用の服も専門店や衣料を扱うスーパーでは置いてあります。そう「オシャレ」なものを追求しなければ、数は豊富でお値段もお安めです。


妊婦検診について言うと、検診の回数は日本とそう変わらないと思うのですが、赤ちゃんの発育の様子を見るために行うウルトラサンドと呼ばれる超音波診断を、アメリカでは全妊娠期を通じて、2−3回しかしないことが大きな違いでしょうか。私は日本で産婦人科をされていたアジア人の先生のクリニックに通っていたのでクリニックに装置があり、毎回超音波をしていただきましたが、これは珍しいことのようです。普通は検診を受けているクリニックでなくウルトラサウンドの施設を持つ病院に別途予約をとって、前中後期のタイミングを図った上で、赤ちゃんの様子を知るのだそうです。多額な医療費・保険による措置らしいですが、私などは逆子だったので、発見が遅れると帝王切開の時期もずれてリスクが高まりますし、毎回見ていただいてよかったなぁと思いました。


定期検診には夫ないしパートナーや家族同伴でやってくるというのが普通のようでした。1人だと受付で質問されるなど、逆に目立ってしまう感じです。やはり誰かが一緒にいてくれると心強いものです。各種検査も日本よりは多かったようです。血糖値テストなどは必須でした。


あと、妊娠が分かり検診に通うようになると、主治医からマルチビタミンを処方されます。必ず毎日服用することを言われ、それは出産後数ヶ月にまで及びました。先生曰く、このビタミンのおかげでどんな妊婦も貧血もなく、産後の快復も早く翌日には帰宅できるのだ、とのことです。これはそうかもなぁと思いました。実際小さめに生まれた娘も元気でしたし、母体の快復は早かったですし、帝王切開でも2泊目には退院許可が下りていましたから。特にジャンクフード天国のアメリカで、妊婦にいい食物を摂るといっても限界があるので、私としては大変ありがたいビタミン様々でした。


妊娠が分かった時、アメリカ人の知人からは「魚は食べちゃだめよ」と言われました。妊婦期、生魚はもちろん、魚類全般をアメリカ人は食べないようですね。「私は日本人だから魚食べちゃうもん」と鼻息荒かったものの、自然と魚の缶詰やお刺身は避けていました。郷に入れば郷に従えですね。それは赤ちゃんにも言えることで、あちらの離乳食コーナーで魚を見たことは全くなかったです。白身魚を推奨する日本とは随分と違うなあと思いました。


あと、妊娠を周囲に告げる時期、これに差があるように思いました。日本の場合、安定期に入ってから家族以外の周りの方にお伝えすることが多いと聞いていますが、アメリカは皆さんすごく妊娠の早い時期にオープンにされるのではないでしょうか。私の場合も、夫の海外出張が私の妊娠初期にぶつかってしまい、身寄りがいないアメリカなので、夫が会社の方に事情を話して、キャンセルしてもらいました。思いがけなく早い告知となりましたが、会社の女性のみならず男性の方も「初期こそ安静に」と事情をよく分かってくださり、驚くと同時に感謝の気持ちで一杯になりました。宗教観からか、「赤ちゃんは皆への授かりもの」という意識が高いのか、物質的ということだけでなく、気持ちの面で、皆が赤ん坊を歓待している空気というものを、アメリカという国で味わった気がします。

成長。

今日、何気なく聞いていた子ども番組の歌が耳に残って、録画していたので再生してみると、作詞・作曲が「岸谷香」とありました。あ、プリプリの奥居さんか!とっても納得。奥居(旧姓)さんらしい、明るくて王道を行くステキな歌でした。


さて、日本帰国後、早くも3ヶ月が経ちました。1ヶ月以上前になりますが、娘も無事に一歳の誕生日を日本で迎えることができました。思えば、逆子のまま帝王切開でヒューストンで生まれ、母国を知らずに10ヶ月をアメリカで過ごし、帰国の飛行機ではちょうどつたい歩きを始めた頃だったので、14時間足元に留めておくことに苦労しました。引越しの段ボールに埋もれながら、親の心配をよそに、本人はいたってマイペースに、日本の風土にも食事にも狭い家にも順応し、ドンドコ(勝手に)育ってくれて、今に至ります。


赤ん坊は、特に母親の「分身」のように言われるということを小耳に挟みましたが、私としては、まったく別の人格を持った人間なんだなぁと実感してる今日この頃です。何を考えているのか分からん!というのは赤ん坊だからかもしれませんが、自分が0歳〜1歳の時にこんな行動はとらなかったよなあ(記憶ないけど)と、思ってしまうこともしばしば。「やっとこの行動パターンに慣れた!」と一息つくと、子どもはさらにその一歩先を進んでいて、追いつこうとしてもなかなかその成長のスピードに追いつけません。子育てが体力勝負というのは、こういうことなんですね。小さいながら、自らの人生を歩んでいるんだと、日々気付かされます。願わくば、これからも一番近くで、その成長を見守っていきたいものです。


次回あたりから、アメリカと日本の妊娠生活・子育ての違いなど、まとめていければと思っています。(予告すればちゃんと書くかな。苦笑)

ハンバーガー道。

ご無沙汰しております。このブログ、週1どころかマンスリーブログ(もはやブログとは言えない)になってしまっております。書き残したいネタは、頭の中で色々と湧いているんですが、どうもPCにガッツリ向かう時間がとれない毎日です。日常生活は元気に送っております。


さてさて、帰国した頃の話ですが、「テキサスバーガー」なる商品がマクドナルドから発売されていました。再発売だったそうで、テキサス帰りとしては心惹かれたのですけれど、当時は普通の日本食に飢えていたので、「ハンバーガーちょっとねぇ」と後回し。そうこうするうちに店頭から消えてしまいました。チャレンジしておくんだった!とちょっぴり後悔しました。食べたという弟に、後日感想を聞くと、「BBQソースがかかって、コッテリと相当にボリュームがあった」そうな。う〜む。本場テキサスのハンバーガーは、ボリュームはあるけれど、決してしつこくはないんだけどな。たしかに、テキサスにはBBQ街道があるくらいBBQは日常の食べ物で、テキサンはハンバーガー大好きですけれど、ハンバーガーにBBQソースをかけるのはスタンダードではない気がします。


アメリカ生活3年で一番食べたのはハンバーガーです。1年目後半からは、ほとんど毎週末食べていたのではないでしょうか。「週1ハンバーガー生活」は、不思議と飽きなかったですね。それどころか、食べ終わった直後も、「また来週来よう」という気になりました。BBQやステーキだとこうはいきません。よく食べたハンバーガーは、どれも野菜がたくさん入っていてヘルシーでした。最低でも、レタス数枚とトマトのスライスが2枚くらいはさんであったと思います。あとは薄くマスタードとマヨネーズがひいてあるだけで、ケチャップやその他のソースはセルフサービスでトッピングするのが普通でした。私たちはマスタードとマヨネーズだけというのがお気に入りでした。肉のうまみと野菜の歯ごたえをストレートに感じることができるからです。


特にお気に入りだったハンバーガー屋さん情報を載せておきます。コストパフォーマンス&味のバランスで夫婦そろってNo1に推したのは、「Wunsche Bros. Cafe」のWunsche Burger。 Old Town Springというヒューストン郊外唯一(?)の観光地にある老舗レストランのハンバーガーです。以前、日本からの友人をこの町にご案内したのですが、その時はこの店を知らなくて紹介することができませんでした。ゴメンナサイ!ここのハンバーガーは、ハンバーガーの基本要素がすべて揃っている王道スタイルでした。それは、「パテがジューシーで肉厚」・「パンがふっくら」・「野菜満点」・「(おそらく自家製)マヨネーズが控えめで上品な味」・「ラッピングしてあり片手で食べられ、噛み付いてもパテと野菜が崩れにくい」といったポイントです。ヒューストンのハンバーガーランキングで1位をとったことがあるというのも納得です。



続いて、「Pappa's Burger」。ここは隣接したヒューストンでも一二を争う高級ステーキハウス「Pappa's Bros. Steakhouse」の姉妹店で、新鮮なお肉がそのままハンバーガーになるわけですから、美味しくないわけがありません。平日昼食時にはビジネスマンで広い店内が満席になり、日本人の方もちらほらお見かけするお店です。ここのハンバーガーの味は、あとは個人の好みの問題なのですが、ちょっと塩コショウがキツイかな、という点でNo.1にはなりませんでした。薄味好きなもので。あと、パテが平べったく大きくてジューシーなので、ちょっと食べづらいかも。もちろんナイフがついてくるので、切り分ければ問題ないです。


Pappas Burger


「Five Guys」と「Cheeburger Cheeburger」は、ともにテキサス生まれではないチェーン店です。前者はバージニア州、後者はフロリダ州発祥です。「Five Guys」はメニューが実にシンプルで、ハンバーガーもチーズとベーコンを組み合わせた4種類(ほかミニサイズあり)しかなく、ほか4種類のドッグ・サンドウィッチと、サイドメニューはポテトだけ。面白いのは、なぜか殻付き落花生が入口に置いてあって食べ放題なこと。反対に「Cheeburger Cheeburger」は選択肢が多いです。肉の焼き加減からトッピング野菜・ソースまですべてチョイスできます。サイドメニューもポテトやオニオンリングから、サラダやプラッター、378,000以上(!)の組み合わせがあるというシェイクまで多種彩々。どちらも、チェーン店ならではの味とスタイルの安定感があります。どちからでも、日本に上陸してくれないかなぁ。


Welcome to Five Guys
Cheeburger Cheeburger


「Fuddruckers」は、テキサス生まれのチェーン店。オーダーしてから好みに肉を焼いてくれるのは他のお店と同様。パンも店内の工房で作っている様子。以前は無料でクッキーもついたんですけれど、今は有料になっちゃったのかな。肉が焼けると名前が呼ばれて、野菜とソース類はお客が自らトッピングしていきます。これがなかなか難しい!積むのはやはりプロがセオリー通りにやってくれるのが一番食べやすいのだと思います。


World’s Greatest Hamburgers® | Fuddruckers®


最後に、「WHATABURGER」。このお店はランキング外。あまりにもお世話になって、ヒューストンの想い出はこの店ぬきには語れません。5ドルでレギュラーハンバーガーとLサイズポテトとLサイズドリンク(日本だったら超Lサイズ。しかもアメリカはレフィル自由)というのは何とも魅力的でした。そして、何より味がいい!塩がとても控えめなのです。最初はポテトが物足りないように思いましたが、食べ続けるのに濃い味はいらないのです。来店の度に、レタスやトマトやマスタードの量が違ったりするんですが、それも愛嬌。揚げたてのポテトに、さっぱり野菜とピリっとマスタードがパテにフィットしている日は、本当に幸せな気分になったものです。娘の外食デビューもこのお店。店員さんとはいつも会話し、私のおなかにいる時から娘の成長を一緒に見守ってくれました。お客さんとも顔なじみとなりました。この店で、テキサスを味わいました。


http://www.whataburger.com/


アメリカのハンバーガーは、総じてパテが肉オンリーで、本当に肉々しかったです。以前、アメリカ人に「日本のハンバーガーの肉には玉ねぎなどが入っている」と話したら、「それは、アメリカではミートローフと呼ぶんだ」と言われました。なるほど。最初はかたくて、ギシギシ歯ごたえありすぎのように思っていたアメリカのハンバーガーも、慣れてくるとこちらの方が美味しく思えてくるから不思議です。一時帰国時に日本資本のチェーン店でハンバーガーを食べると、肉が柔らかすぎて、すべてつくねのように感じて、物足りなさを味わったものでした。アメリカで、ハンバーガーの奥深さを発見した気がします。もうしばらくしたら、日本でアメリカなハンバーガーを食べられるお店を探していきたいものです。




写真は、左上から右下にかけて、Wunsche Burger・Pappa's Burger・Five Guys・Cheeburger Cheeburger・Fuddruckers・WHATABURGERです。

病院めぐり。

帰国して丁度2ヶ月が過ぎました。「もう2ヶ月」でもあり、「まだ2ヶ月」でもあります。ここのところ、やっと日々のペースがつかめてきて、ホッとできる時間を見つけることもできるようになりました(娘の昼寝中)。


帰国してから追われたのは病院通い。アメリカ生まれの娘は、日本だと6ヶ月までに接種するBCGを逃していたので(最近は事前にツベルクリン反応を受けないのが普通だそうですね)、まずは行きつけの小児科を決めて、BCGを含めた今後の予防接種の相談をしようと思っていました。同時に、4月半ばには私たち夫婦の人間ドックが控えており、4月初旬に事前の問診票などをチェックしていました。その時、目にとまったのが乳がんの自己診断マニュアル。あ、随分としていなかったと思い、家族が寝静まった夜中に鏡の前に立って胸をチェックしてみると、右手を上げた時、右胸の外側部分に縦のひきつれを発見してしまいました。しこり・ひきつれは、乳がんの症状の一つ。まさか。。。サーッと血の気が引くというのはこのこと。足の力が抜け、頭は真っ白。日本に帰ってきて、浮かれていたところへのカウンターパンチ。「好事魔多し」なのか。普段から乳がんのことは気にしているつもりだったのに、現実としてそのような事実が降りかかってくると、まったく動転してしまって、一瞬にして悲観的なことばかりが頭に浮かび、その余裕のなさと自己中心的な発想は、今考えても恥ずかしく思います。


居ても立ってもいられなくなったので、近所の産婦人科で乳腺外科の先生が来院する曜日を夫が調べ、翌々日の朝一でその病院に駆け込みました。ちなみに、乳がんは婦人科ではなく、外科、できれば乳腺外科でないと診断できません。(こういった事前知識はあったのです)行ってみると、乳腺外科を受診するためには事前に検査をし、予約が必要とのことでした。触診してくださった産婦人科の先生は「何ともないとは思うけれど、マンモグラフィーをとったら」とおっしゃったので、即決で初マンモを受けました。その間、一緒に連れて行った娘が泣き叫び、放射線科の男性の先生が抱っこして下さいました。それでも泣き止まず、フロアが大騒ぎになってしまいました。申し訳ありません!マンモは、微量ですが放射線を浴びるので、2週間後に控えた人間ドックでのマンモはキャンセルすることにしました。


上記産婦人科に行ったあと、時間が空いたので、友人から教えてもらった小児科に娘を連れて行きました。BCGは区の所定病院に行って有料で受けるように言われました。ほかの予防接種については、「わー、こんなに接種していてラッキーですね。アメリカは進んでいますから」とのこと。気候風土も、赤ん坊は大人より順応が早いから問題ないでしょうとのことでした。ここはひとまず安心。


マンモの結果が出たのは10日後。「良性か悪性か判断つかないが組織の乱れがある」との所見が出ました。この日の産婦人科の先生から「所見が出たから保険はきくので、エコーも受けておきなさい」とすすめられ、すぐにエコーを受けました。病院のエコーの結果がでないまま、2日後には人間ドックへ。マンモはスキップし、何度やっても問題ないエコーは予定通り受診しました。エコーの技師さんはその場で診断をする権利がないので、結果は持ち越しとなりました。


その週末、先週会った友人から夜分に電話がありました。友人の息子さんが水疱瘡を発症したそうで、先週一緒に遊んだ私の娘にも感染している可能性が高いとのこと。予防接種は1歳以後なので、当然娘は受けていません。発症を防ぐにはどうすればいいのだろう。ということで、翌日、早速小児科に行ってみました。すると、看護師さんから、まだ発症していないならどうしようもないし、そもそも怖い病気ではなく昔は患者の肌にわざとさわって感染させ免疫をつけたような病気だから心配無用、なったらいらっしゃいと言われました。感染してから処方する抗ウィルス剤は、1歳未満でも服用できるそうですね。本件は、経過観察となりました。


さらにその翌週、地元の産婦人科の乳腺外科を受診。マンモ・エコーの結果を見た女医さんは、赤ん坊連れでオタオタしている私を席に座らせることなく、「大丈夫、大丈夫。何にも問題なしだから。帰っていいわよ」と笑顔でおっしゃいました。同席した母も「あーっ」と声を出して、よかったよかったと、ホッとしたのでした。この時点で、乳がんの可能性はゼロと思いましたが、念のためセカンドオピニオンを受けることにしました。丁度この時、夫がヒューストンへ出張に行っていたので、娘と私は実家に泊まり、その間、かつて私の盲腸も切って下さったかつての主治医の先生の元に伺いました。触診で「何もない」とおっしゃった後、その場でエコーもかけて、その言葉を裏付けてくださいました。はーーー。2週間で3回のエコー。これで一段落しました。なお、後日送られてきた人間ドックのエコー結果は「要治療の乳腺症」でした。


そして5月。GW中に船便が段ボールにして100箱以上届いたのですが、まさにその引っ越し日、朝から娘のおなかに赤いポツポツが!ひやぁ〜よりによって、今日水疱瘡発症か!?潜伏期間を考えると、ギリギリ可能性あり。その日、家の中は、誇張でなく足の踏み場もない状態に陥っており、寝室で義母が娘の面倒をみていましたが、その暴れぶりから「まだ大丈夫」と判断し、連休が明けてから再び小児科の門を叩きました。感染症を発症した疑いのある患者は別の入口から入るように指示され、なにやら隔離されたような待合スペースで順番を待ちました。そして診断は「シロ」。水疱瘡特有の水泡が見られないし、発疹はもっと大きいはず、なんだそうです。帰りは通常の玄関から帰りました。結局、娘が水疱瘡を発症することはありませんでした。


先週は、BCGのために三軒茶屋のクリニックにまで足を伸ばしました。久しぶりの世田谷線路面電車のような昼下がりのノンビリなムードが懐かしいです。娘は、聴診器で大泣きを開始し、その後あっという間に左上腕部にスタンプを2つ押されて、BCGを完了しました。


長くなりましたが、以上がここ2ヶ月の私、及び娘の通院履歴です。人間ドックも合わせると、5つの病院に合計9回通院しました。小心者で、何かあるとすぐに病院に駆け込んでしまう私の気質がよく現れた数字です。どの病院でも日本語が通じて本当にありがたかったです(あたりまえ)。乳がんについて言えば、今回はたまたま見つからなかったですが、将来への保証はありません。年一回の定期健診は必ず受けていきたいと思いました。たしかアメリカでは、40代以上の乳がん検診は半年に一度と聞いた記憶があります。日本はまだまだ検診率が低いようですね。それにしても、この2ヶ月、自分・家族の健康についてよく考えました。日本での生活リスタートなので、今回の経験を忘れずに気を引き締めていきたいと思います。

久しぶりの日本のTV番組。

日本に帰ってきてから、よくTVを見るようになりました。だらだら見るのはよくないと思いながら、くだらないなとつぶやきながら、ワイドショー系も懐かしくて、話している言葉が全部分かるのが嬉しくて、ついついTVをつけてしまいます。この1ヶ月で、娘もだんだんTVに(短時間ではありますが)集中できるようになってきました。彼女にとってお気に入りは、NHKの朝の連ドラ「ゲゲゲの女房」と「みんなの体操」。テーマ音楽が始まるとTV前に移動していきます。「ゲゲゲ」は見ている回数が多いから分かるのですが、なぜ三人の女性がピアノに合わせて体を動かす体操番組にそんなにハマッているのかは謎です。ま、私も画面に向かってストレッチしていますけど。


夕方には、NHK教育の幼児子ども番組をつけます。お母さんが夕飯や家事で忙しい時間に合わせて放映されているのでしょうか。5分〜15分単位で色々なプログラムが組まれているのですが、以前友人から「面白いよ」と聞かされていた通り、大人でも楽しめる内容に驚きました。流される音楽の作詞や作曲には、つんくトータス松本・近藤雅彦らが名を連ね、宮藤官九郎の体操歌で白タイツ姿の三宅弘城が踊るとか、吉岡秀隆が物語を朗読するとか、先日はクレイジーケンバンド横山剣が本名で「1人のパパ」として娘と出演していました。ほかにも、市川亀治郎野村萬斎KONISHIKI小林顕作宮川彬良斎藤晴彦大澄賢也茂森あゆみらがパフォーマーや声優として登場。いやぁ、親世代も目が離せないです。


私たちが小さかった時代は、民放でも随分と幼児向けの番組が流されていたように思います。ピンポンパン・ロンパールームひらけ!ポンキッキなどなど。幼稚園や小学校を休んだ時は、教育テレビを朝から見続けるのが楽しみでした。夕方にはアニメ番組が多かったですし、日曜日の朝や夜もアニメ漬けだった記憶があります。今思い起こしてみても、バラエティに富んでいて、レベルが高いアニメばかりでした。最近は、子ども向けTV番組が随分と減ってきているんでしょうか。