アメリカでの出産【入院編(1)】

気が付くと、6月が終わり、アメリカ独立記念日も過ぎてしまいました。早い!7月4日はよく行くイタリアンレストランで予め注文していた「Grill Box」を受け取り、下ごしらえしてあるニューヨーク・ストリップ(サーロインより柔らかい「ショートロイン」の部位)のステーキと野菜を自宅でグリルして、食後のデザートはティラミスを楽しみました。美味しかったです。赤ん坊がいると外食はままならないですが、こうやって家で食べられるBOXを用意してくれるのはありがたい!


またまた間が空いてしまいましたが、出産時の入院編を。(すでに記憶の彼方・・・)


【5月19日<1日目>】
無事に帝王切開手術が終わり、術後処置室で1時間ほど過ごした後、ベッドに寝たそのままでエレベーターに乗り病室に向かいました。途中、新生児室前を通る際、看護師さんがストレッチャーを止め、新生児室の看護師さんがわが娘を窓越しに見せてくださいました。細かい心配りに感謝です。病室は14号室。バス・トイレ付きの個室でした。個室というと贅沢なイメージがありますが、おそらくこの病院には2人以上部屋はないと思います。そもそも部屋の希望も聞かれませんでしたし。入院日数も少ないアメリカではこれが普通なのかもしれません。


病室でホッとしたのも束の間、それからは矢継ぎ早に人の出入りがありました。まずは、妊婦(私)担当の看護師さんが自己紹介してザーッと入院時の説明をされました。「I cannot speak English well.」と最初に断ったのですが、その後の英語のスピードもあまり変わることはなく(笑)、夫を間になんとか雰囲気で分かったつもりになりました。続いて赤ちゃんの看護師さんが入室。Breast-feeding(母乳)かFormula(人工ミルク)か聞かれ、母乳予定だったのでそう答えると、「いつから赤ちゃんを連れてくるか?」の質問。まだまともに起き上がれない状態でしたから、明日以降と答えました。その後は、事務方の女性がやって来て、 Birth Certificate(出生届)やSocial Security Number取得のための書類作成を依頼されました。これは夫にスルー。



夜の8時前に夫と両親が退出したあとも、、ローテーションで毎回異なる妊婦担当の看護師さんと赤ちゃん担当の看護師さんが2、3時間おきに入れ替わり立ち代りやってきました。その都度、「私は○○。内線番号はxxxx。」と自己紹介してくれるのですが、全員の名前を覚えることなど到底不可能。よって、看護師さん達は壁のホワイトボードに自分の名前と担当時間・内線番号を書いてくれるのです。よくできてるシステムです。左の写真はある時のそのホワイトボードです。


看護師さんも万国博覧会のように人種も様々。一番最初に現れた若い女性はケニア出身だそうで、「大統領と同じね」などと会話を交わしました。白人、黒人、ヒスパニック、中国系、ベトナム系、ロシア系。話す英語も同じ言語とは思えないほどイントネーションや雰囲気が違い、初対面だとまずチンプンカンプン。だんだんとヒアリングできるようになりますが、やっと慣れた頃にまた別の看護師さんにバトンタッチ。まるでマンツーマンの英会話教室に来ている感覚でした。ネイティブのキレイな英語を話す人など、実は本当に少ないのですよね。キレイなことより伝わることの方が大事。英語の強みは、あらゆる民族に話されて浸透していることというのが、アメリカに住んでの実感です。


夜、足にまかれた電動サポーターのようなもの(血栓防止?)が蒸れて痒くなったのですが、「痒い」という英語が思い浮かばず、起き上がって電子辞書を取るのもしんどかったので、看護師さんを電話で呼ばずにとりあえず我慢してみました。こういう時、異国にいるもどかしさを感じます。深夜はうつらうつらしましたが、忘れた頃に看護師さんの検診があるので、眠ることはありませんでした。


思っていたより長くなってしまいました。ので、二日目以降は、また次の機会に。(そしていつ完結するのか???)